原采蘋の取材に行ってきました

幕末三代女性漢詩人

男装の麗人

天才剣士

彼女の経歴にはさまざまな肩書きが付け加えられます。

まるでライトノベルか漫画の主人公のような人物です。

次回の動画では彼女についてかなりの時間を割いています。

私自身も大好きな人物です。

小説や評伝もいくつか出ておりますのでぜひご覧ください。

味噌食い化け物の話

以下山家に伝わる民話である。

山家に浦の下という集落がある。

その大きな屋敷にこれまた大きな味噌桶があった。

その味噌桶の味噌を化け物が夜な夜な一粒残らず食らっていったという。

味噌桶の中の味噌は翌日になると一見復活しているように見えるのだが、

表面を割ってみるとパリパリッと乾いた音がして中が空洞になっている。

やはり何者かに味噌が食われていたのだ。

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後日、大根地山から吹き下ろす風が凄まじいある晩のこと、

風がいきなりぱたりとやんで、真っ赤な火の球が飛んでくるのが見えた。

その火の球が屋敷に入るやいなや、止まっていた風が再びごうと吹きだし、

浦の下中を火の海へ包んだという。

火事がおさまったあと、屋敷の柿の木を見ると大きな爪痕が残っていた。

★ ★ ★

その後も原因不明の火事が続いたが、山の祠に太郎坊という神をまつったところ

火事はおさまったということである。

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脈絡のない話がつづきますが、筑紫野市のホームページによれば、愛宕山太郎坊信仰、

秋葉神社の伝説、楠木正成の怨霊伝説などが複合的に交わったものだということです。

興味のある分野なのでおりを見て深掘りしたいと思います。

参考文献:山家郷土史話 近藤典二(1945年) 

     ちくしの散歩 山家宿こぼればなし https://www.city.chikushino.fukuoka.jp

オールコックの見た北部九州の支配階級と被支配者階級の関係

イギリスの初代駐日大使ラザフォード・オールコック

北部九州の支配者階級と被支配者階級の関係について、

「(北部九州は)土地はひじょうに肥沃で、きわめて安い労働力をふんだんにつかって

土地を最大限に利用してはいるが、土地を耕作して生きていかなければならない人にとっては

剰余がほとんどのこされていないということである。生産物のうち、余分なものがあれば

大名とその家臣によって吸いとられてしまう」と語っており、江戸時代末期の

北部九州の農民たちの生活の苦しさが客観的な視点からうかがうことができます。

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また、オールコックは一国の生活費の高さ、安さは貨幣の額をどのくらい細分化しているかによって見当がつく、

との経済学者の言葉を引き、一文がイギリスの単位一ファージングの二十五分の一に相当することからその生活費は

安上がりであろうと推測しています。

「大君の都」 オールコック 山口光朔訳 岩波文庫(1962年)

佐賀宿

「葉隠」の口述者、山本常朝、幕末には多くの維新志士を輩出した佐賀宿。

その佐賀宿にプチ取材に行ってきました!

当面は筑前六宿に焦点を当てるつもりですがいずれきっちりと……

道祖神

道祖神とは土地神の一種で、村落の角や村境に建てられた石碑がご神体となっていることが多く見られます。

正月の松の内が終わると、使い終わった門松や松飾りに火をつけて焼き払ってしまう風習があります。

その際に道祖神のまつられた広場がしばしば用いられます。

年頭に家族の無病息災を願うために招き入れていた正月神を追い払うために門松や松飾りを焼き払うのです。

この火祭りの対象が道祖神でした。

また道祖神は悪疫・悪病を除去する神としてもあがめられていました。その祭り日は流行病が発生しやすい

夏の土用ごろに行われます。

参考文献:民間信仰 桜井徳太郎 2020年 ちくま学芸文庫

脇本陣

 本陣の設置は宿場ごとに最小限度に抑えられていました。

 本陣を設置していてもそこから得られる収益はわずかだったからです。

 

 しかし、参勤交代の時期ともなれば諸侯の往来も多くなり、本陣だけでは宿泊先が十分でない場合もありました。

 その本陣の補助的役割として設けられたのが脇本陣です。

 本陣脇本陣の違いとして、

 ①本陣は門構があり、玄関付でしたが、脇本陣にはそれらがない場合も多いという構造上の問題。

 ②本陣の建設には補助金が出るが、脇本陣の建設には補助金が出ないのが原則。

 ただし、①および②には例外も多く決定的な違いとはなりません。決定的な違いとして、

 ③脇本陣は参勤交代以外の比較的余裕のある時期には一般旅行者も泊まることができたが、本陣はできない。

 という宿泊者の選別の問題がありました。

 このように脇本陣は本陣をサポートする形で機能していたといえます。

 参考文献:本陣の研究 大島 延次郎 吉川弘文館(昭和三十二年)

助郷(すけごう)

宿場では宿場から宿場へ、人馬を変えて貨物や人を輸送する継送りが行われていました。

ですが、その宿場だけでは人や馬が足りない場合がしばしばあります。

そこで宿場とは別の近くの村へ人手や馬を提供させるように求めました。

本来、この宿場を助ける村のことを助郷と言っていましたが、宿場の継送りを助けるこの役目そのものも

助郷というようになりました。

宿場を助ける村を助郷村、助郷村から継送りを助ける役割を助郷役と呼びますが、

両方の区別なく助郷という一語で表されることも多く見られます。

参考文献:近世宿駅の基礎的研究 第一 丸山雍成(吉川弘文館)

江戸期における旧街道と現国道

江戸時代の旧街道とおおまかな現在の国道の関連は以下の通りです。

長崎街道大里ー黒崎間→国道3号線、黒崎ー原田間→国道200号線、原田ー長崎間→国道34号線

薩摩街道:国道3号線

豊後街道熊本ー笹倉間→国道57号線、神堤ー大分間→国道442号線

唐津街道:国道3号線、国道202号線

平戸街道平戸-佐世保間→国道204号線、佐世保ー早岐間→国道35号線、早岐-彼杵間→国道205号線

日田往還久留米ー日田→国道210号線、原田ー日田→国道386号線、飯塚ー日田→国道211号線、中津ー日田→国道212号線、大分ー日田→国道210号線、竹田ー日田→国道422号線・国道212号線、内牧ー日田→国道212号線、熊本ー日田→国道387号線、国道212号線

秋月街道:国道322号線

参考文献:道路網の移り変わり――北部九州地区を例にして――(1985年) 秀島 隆史 第5回日本土木史研究発表会論文集

※秋月街道のみ著者が補った