脇本陣

 本陣の設置は宿場ごとに最小限度に抑えられていました。

 本陣を設置していてもそこから得られる収益はわずかだったからです。

 

 しかし、参勤交代の時期ともなれば諸侯の往来も多くなり、本陣だけでは宿泊先が十分でない場合もありました。

 その本陣の補助的役割として設けられたのが脇本陣です。

 本陣脇本陣の違いとして、

 ①本陣は門構があり、玄関付でしたが、脇本陣にはそれらがない場合も多いという構造上の問題。

 ②本陣の建設には補助金が出るが、脇本陣の建設には補助金が出ないのが原則。

 ただし、①および②には例外も多く決定的な違いとはなりません。決定的な違いとして、

 ③脇本陣は参勤交代以外の比較的余裕のある時期には一般旅行者も泊まることができたが、本陣はできない。

 という宿泊者の選別の問題がありました。

 このように脇本陣は本陣をサポートする形で機能していたといえます。

 参考文献:本陣の研究 大島 延次郎 吉川弘文館(昭和三十二年)

助郷(すけごう)

宿場では宿場から宿場へ、人馬を変えて貨物や人を輸送する継送りが行われていました。

ですが、その宿場だけでは人や馬が足りない場合がしばしばあります。

そこで宿場とは別の近くの村へ人手や馬を提供させるように求めました。

本来、この宿場を助ける村のことを助郷と言っていましたが、宿場の継送りを助けるこの役目そのものも

助郷というようになりました。

宿場を助ける村を助郷村、助郷村から継送りを助ける役割を助郷役と呼びますが、

両方の区別なく助郷という一語で表されることも多く見られます。

参考文献:近世宿駅の基礎的研究 第一 丸山雍成(吉川弘文館)

本陣

本陣とは宿場・宿駅で高貴な人が泊まる大旅館のことを言います。

大名や公家、公卿・幕府役人・外国の来賓などがこの本陣に宿泊しました。

本陣には参勤交代以前に大名や貴人の宿泊先として定着し、のちに本陣へと変化していったもの。

寛永十二年の参勤交代制のはじまりによって本陣が設置されたものの二種類があります。

交通量の少ない遠隔地の街道筋には本陣が存在しないか、または本陣と旅籠屋の区別のつかない宿駅もありました。

参考文献:近世宿駅の基礎的研究 第一 丸山雍成(吉川弘文館)