本陣とは宿場・宿駅で高貴な人が泊まる大旅館のことを言います。
大名や公家、公卿・幕府役人・外国の来賓などがこの本陣に宿泊しました。
本陣には参勤交代以前に大名や貴人の宿泊先として定着し、のちに本陣へと変化していったもの。
寛永十二年の参勤交代制のはじまりによって本陣が設置されたものの二種類があります。
交通量の少ない遠隔地の街道筋には本陣が存在しないか、または本陣と旅籠屋の区別のつかない宿駅もありました。
参考文献:近世宿駅の基礎的研究 第一 丸山雍成(吉川弘文館)
本陣とは宿場・宿駅で高貴な人が泊まる大旅館のことを言います。
大名や公家、公卿・幕府役人・外国の来賓などがこの本陣に宿泊しました。
本陣には参勤交代以前に大名や貴人の宿泊先として定着し、のちに本陣へと変化していったもの。
寛永十二年の参勤交代制のはじまりによって本陣が設置されたものの二種類があります。
交通量の少ない遠隔地の街道筋には本陣が存在しないか、または本陣と旅籠屋の区別のつかない宿駅もありました。
参考文献:近世宿駅の基礎的研究 第一 丸山雍成(吉川弘文館)
福岡県筑紫野市、現在の国道200号線の通り沿いに山家宿がありました。
山家宿ではたくさんの人びとが行き交いました。
なぜ山家宿には人が集まったのか?
なぜ山家宿が置かれたのか?
その謎は動画で解き明かす予定です。
近日公開予定! 乞うご期待!
長崎街道の中でも筑前国(ちくぜんのくに)にまたがる宿場町、
黒崎宿(くろさきしゅく)・木屋瀬宿(こやのせしゅく)・飯塚宿(いいづかしゅく)・内野宿(うちのしゅく)・山家宿(やまえしゅく)・原田宿(はるだしゅく)を特に筑前六宿と呼びます。
この六つの宿場町は今の福岡県をほぼ直線上に横断しており、江戸へと続く最短ルートとなっています。
それまで長崎から筑前国へと向かうルートは佐賀県唐津から福岡県博多へとつながる唐津街道を用いることが一般的でしたが、この筑前六宿がつながったことにより、より利便性が高まりました。
黒田藩はこの筑前六宿を通るルートを用いることを他藩にも奨励していましたが、しばしばそれは守られず、隣藩の鍋島藩などと諍いになることもありました。
参考文献:日本交通史への道 前近代日本の交通と社会 丸山雍成(吉川弘文館)
——長崎街道、豊前国小倉から肥前国長崎まで約220キロメートルのその道のりには
多くの人やモノが行き交いました。しかしながら今ではかつての旧宿場町の多くは寂れてしまったり
過疎化が進んだりしてその栄華はだんだんと忘れられつつあります。
私たちはこのブログや動画制作を通して少しでも長崎街道のことを知っていただき、
少しでも長崎街道や旧宿場町の認知・発展に寄与できたらと考えております。
そして少しでも多くの人に長崎街道を歩いていただければこれに勝る幸せはありません。
人が歩くところに道ができる。道や歴史が埋もれてしまっていたとしても再び誰かが
歩き出せば道は再びあらわれる。そう信じて活動に邁進していきます。
長崎街道および宿場町に関する情報やご意見等ありましたら、お気軽にお問い合わせください。
それでは遥かなる長崎街道の旅へ。みなさまとともに。