福岡県筑前町石櫃に薩摩街道と日田往還の交差する追分石があります。
ここでいったん合流した薩摩街道と日田往還はさらに山家宿で
長崎街道と合流していくことになります。
住所:福岡県朝倉郡石櫃39-2
福岡県筑前町石櫃に薩摩街道と日田往還の交差する追分石があります。
ここでいったん合流した薩摩街道と日田往還はさらに山家宿で
長崎街道と合流していくことになります。
住所:福岡県朝倉郡石櫃39-2
福岡県筑紫野市、現在の国道200号線の通り沿いに山家宿がありました。
山家宿ではたくさんの人びとが行き交いました。
なぜ山家宿には人が集まったのか?
なぜ山家宿が置かれたのか?
その謎は動画で解き明かす予定です。
近日公開予定! 乞うご期待!
長崎街道の中でも筑前国(ちくぜんのくに)にまたがる宿場町、
黒崎宿(くろさきしゅく)・木屋瀬宿(こやのせしゅく)・飯塚宿(いいづかしゅく)・内野宿(うちのしゅく)・山家宿(やまえしゅく)・原田宿(はるだしゅく)を特に筑前六宿と呼びます。
この六つの宿場町は今の福岡県をほぼ直線上に横断しており、江戸へと続く最短ルートとなっています。
それまで長崎から筑前国へと向かうルートは佐賀県唐津から福岡県博多へとつながる唐津街道を用いることが一般的でしたが、この筑前六宿がつながったことにより、より利便性が高まりました。
黒田藩はこの筑前六宿を通るルートを用いることを他藩にも奨励していましたが、しばしばそれは守られず、隣藩の鍋島藩などと諍いになることもありました。
参考文献:日本交通史への道 前近代日本の交通と社会 丸山雍成(吉川弘文館)